2022年 年頭のごあいさつ 〜 今年の賀状より 〜
2021年 年頭のごあいさつ 〜 今年の賀状より 〜
2020年 年頭のごあいさつ 〜 今年の賀状より 〜
あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
昨年、工房近くの空き家の庭木のザクロが、輝く朱色の花を咲かせる頃に、行きつけの書店
の文庫本コーナーで「ひとはなぜ戦争をするのか」アルバート・アインシュタイン/ジグム
ント・フロイト/浅見昇吾訳(講談社学術文庫)と出会った。1932年ナチス台頭の頃、アイン
シュタインの「人間を戦争というくびきから解き放つことはできるのか?」と問う手紙に、
フロイトが返信する。浅見氏のあとがき、養老孟司、斎藤環両氏の解説という構成である。
100頁ほどの薄い文庫本なので、いつも持ち歩き、何度も読み返した。2度目に朱色の花は
小さく結実した。3度目には実が膨らみ、4度目には熟れて赤く透明な果肉を見せていた。
主人を失ってその実を収穫されることがなくなっても、ザクロは開花と結実を繰り返してい
る。1932年の往復書簡から88年後の今年も、人間は戦争のくびきから解放されていない。
良い年になりますように。 (松村 宏)
2019年 年頭のごあいさつ 〜 今年の賀状より 〜
2018年 年頭のごあいさつ 〜 今年の賀状より
あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願い申しあげます。
誰もが明るく爽やかな正月を迎えたいと想うものだ。だがこの数年の空気の重苦しさは何
なのだろう。私の親の世代が迎えた、昭和16年から20年はどんな正月だったのだろうか。
昨夏、私の唯一の定期購読紙、図書新聞8月5日3314号に、追悼劉曉波「表現の自由は真理
の母である」劉曉波の思想と行動について、日本語で伝える役割と責任の重さ・及川淳子の
記事があった。
「社会を変えて政権を変える」…「自由と民主を追求する民間の力は、急進的に政権が変化
することによって社会全体の変革を求めるのではなく、漸進的に社会を変革することで政権
が変化することを迫るものである」「非暴力による反抗の偉大さは、押し付けられる暴政
およびそれによる苦難に人類が直面しなければならない時でも、被害者は愛を持って憎しみ
に向き合い、寛容を持って偏見に向き合い、謙虚さを持って傲慢に向き合い、尊厳を持って
恥辱に向き合い、理性を持って狂暴に向き合うのだ」と徹底して非暴力を訴えた。
(劉曉波文集2010年より)
中国の共産党一党独裁からの脱却を求める発言だが、今のこの国の問題として共感し、胸に
沁みてしまう。中国で、日本で、世界中で国家暴力がむき出しになっている。次の世代の
ために、今、大人達が事実を語らなければならないと思う。工房の花壇では今年も水仙の花
が生々しい香りを放ち始めている。
良い年になりますように。 ( 松村 宏 )
2017年 年頭のごあいさつ 〜 今年の賀状より
あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
6月から7月にかけて、3回目の脱皮を終えた頃のカマキリを見たことがあるだろうか。
奴らは黄緑色で、まだ華奢な肢体だが、触ろうとすると細くかわいいカマをもたげて
威嚇してくる。
この歳になって、蟷螂の斧という言葉を知った。・・蟷螂の斧を以って降車の隧を禦が
んと欲す・・カマキリが両足を上げて、大きな車のわだちに向かって進行を止めようと
する。弱小のものが自分の微弱な力をわきまえず、強大な敵に手向いすることのたとえ。
弱者が身のほどを知らずに強敵に立ち向かうこと。とのことである。
今、戦争へ向かう性急で強引な動きに対し、たとえ蟷螂の斧であっても、振るい続け
なければと思うが、振り下ろした斧は、為政を覆せない自分自身に突き刺さるのかも
しれない。
カマキリは7、8回の脱皮を繰り返して成虫になるという。チビカマキリ達よ、うまく
擬態してでも、天敵の暴力をかいくぐり、成虫となってその斧を振るい続けておくれ。
私も斧を研ぎ澄ましておくから・・・。
良い年になりますように。